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社会はCSRで「守り」、SDGsで「動かす」(後編)

株式会社クレアン代表取締役、NPO法人サステナビリティ日本フォーラム事務局長
薗田綾子 Ayako Sonoda
シティラボ東京のメンターの一人であり、CSR(企業の社会的責任)コンサルティング事業などを通して企業の活動をサスティナブルな方向に転換し、SDGs推進に尽力している薗田綾子さんに、今までの取り組みや今後の展開などについて伺いました。後編では、薗田さんの人生とSDGsとのつながり、そして、社会にとってのSDGsの存在価値について語っていただきました。[前編はこちら   写真/鈴木愛子、構成・文/吉川明子   ――薗田さんは、女性は結婚後には仕事を辞めて専業主婦になるのが当たり前だった時代から、すでに第一線で働き続けて来られました。この30年間は、社会や環境、働き方、生き方といったあらゆる価値観が激変する時期に重なっています。   薗田:すごい変わりようでしたね。世の中のいろいろな仕組みが変わり、さまざまな価値観や考え方を認めていこうという社会の大きな流れもあります。ただ、意識はなかなか簡単に変わらないと感じています。例えば、SDGsの5番は「ジェンダー(ジェンダー平等を実現しよう)」というものですが、男性が女性のくせにと潜在的に思っていたり、女性自身も女性だからと諦めていたり……。特に女性の場合は、「妻」、「母」のようにある意味古い役割意識みたいなものがあって、能力を発揮できていない現状があります。   かくいう私自身も、社内のスタッフをMBA取得のための大学院に派遣しようという話が出たとき、「彼女に声をかけようと思ったけれど、結婚したばかりだから無理だろう」と本人に打診する前に決めてつけていたことに気づき、はっとしました。果たして、新婚男性に対して同じように考えたでしょうか。実際、本人に相談してみたら、「そういうチャンスはぜひください」と言われたんです。男女関係なく、チャンスが平等に得られる世の中になれば、もっと能力が発揮できるのではないかと思うのです。最近、私はこのSDGsの5番が強化できれば、他の課題もかなり解決できるようになる、という仮説に自信を持っています。
――価値観の変化といえば、東日本大震災も多くの人々に生き方や考え方を問い直す大きな出来事だったように思いますが、薗田さんご自身に変化はありましたか?   薗田:私は兵庫県西宮市出身で、阪神淡路大震災に遭遇した経験があります。阪神高速神戸線の高架が倒壊した国道43号線のすぐそばに家があったのですが、幸い私は無事でした。あのときに6,400人以上の方が亡くなったのを知り、何か使命を与えられて自分は生かされたのかもしれないと思いました。人はいつ死ぬかわからないし、今日死んでもいいように悔いがないように精一杯生きようと。だから、東日本大震災のときも、原点に戻って、「人は何のために生きているのか?」「会社は何のためにあるのか?」「自分ひとりのために生きているのではなく、周囲の人を幸せにするために生きているんじゃないか?」などとさまざまなことを見つめ直しました。それは企業も同じで、単に環境や社会に配慮したCSRを実践するだけでなく、例えばコンビニエンスストアなら生活インフラを支えている、石油会社ならエネルギーを支えているとか、本質的な存在価値や存在意義に気づくきっかけになったと思います。   ――個人も企業も、周囲を幸せにするために存在意義があり、そのためにさまざまな活動をしているということですね。   薗田:自分の幸せというものは、一人だけでの幸せはありえません。自分にとっての幸せを考えたときに、やっぱり家族や周囲の人、一緒に働いている人たちがハッピーであってほしい。さらには世界中の人がみんな幸せになれたら、私はとても幸せかもと思うんです。東日本大震災のときにはまだSDGsはありませんでしたが、SDGsが採択されたとき、“誰一人取り残さない”持続可能な目標と聞いて、自分が思っていたこととつながっていることもあり、「これだ!」と思いました。“誰一人取り残さない”なんて無理だと言う人もいますが、私はやっぱり、みんなが幸せだと感じられる社会をつくりたい。誰一人取り残さずに、世界中の人に幸せを実感してほしいと心から思っています。そして、それはすべて自分の身近なところから始められるものなのです。
――クレアンでは、その働きかける相手が企業や行政ということですね。   薗田:ジェンダーの問題や、子育て支援、介護など、一企業だけではできないこともたくさんあります。そういう場合、自治体や地域とのコラボーレーション、もしくはいろんな企業との連携が必要になってきます。たくさんのベストプラクティスをつくるためにワークショップや座談会なども積極的に行っています。私、セミナーなどで一番がっかりする感想が「今日はいいお話を聞きました。勉強になりました」というものなのですが、そんな受け身の姿勢ではなく、アクションのきっかけをつかんで行動に移してほしいと思っているんです。企業が変わると社会に大きな影響を与えるのは明白なことですから、自分たちが社会に役立ち、周囲の幸せや信頼関係をもっと広げていってほしいなと。   ――その核となる部分にSDGsがあるのですね。   薗田:会社の業務だから取り組むのではなく、“自分ごと”としてとらえてほしいと思っています。いい会社、いい社会をつくっていけば、地域がよくなり、自分の老後の安心にもつながるかもしれない。子どもや孫の世代にもハッピーをもたらす転換となるかもしれない。仕事の中でどうしていくかは、自分の強み、会社の強みを生かして何ができるか、ということをじっくり考えて行動に移してほしいと思っています。   ――今後、力を入れていきたいことはありますか?   薗田:今、私が気になっているのは海の生態系です。最近、海洋プラスチックゴミの問題が注目を集めています。「海をきれいにしよう」とよく言いますが、海を守ろうと思う人は、海で遊んだ経験がある人なんです。海に接する経験がない人の多くは、海の環境を守るために自分のライフスタイルを変えることは難しい。まずは海とのつながりを持つことが大切なんじゃないかと思います。また、海洋プラスチックゴミは気候変動と違って目に見えるものなので、各国で政策が進み、企業も代替化や資源循環を進めれば、解決は意外と早いのではないかと思っています。2021年にはEUが使い捨てプラスチックの使用を全面的に禁止する法案が可決されていますし、大きく変わるのではないでしょうか。
――大量生産・大量消費・大量廃棄のビジネスモデルを見直す企業が増えれば、社会全体も大きく変わりそうですね。   薗田:そうです。私もペットボトルではなく水筒を持ち歩くようにしていますし、使い捨て容器の使用をできるだけ控えています。このように一人ひとりにできることはたくさんあります。便利だけど環境破壊につながるライフスタイルを変えると同時に、一人ひとりの価値観も変えることができるといいですね。企業はTCFD(気候変動関連財務情報開示タスクフォース)によるシナリオをシミュレーション分析し、そこから財務的なインパクトを見える化することも有効です。今はSDGsや海洋のプラスチックゴミ、気候変動、TCFDなどとバラバラに進められているところはありますが、これらをすべてつなげて、プラスに変えていくにはどうすればいいのかを考えていきたいですね。人も企業も行政もつながりあっていく。   私はもっといろんな人や概念を“まぜまぜ”したいと考えているんです!(笑) 例えば、小学生と企業の役員を混ぜてみるとか、SDGsが共通言語になって、いろんな人たちや企業、行政をつないで(混ぜて)いくことで、大きなコレクティブインパクトを起こせるのではないでしょうか? シティラボ東京もまた、人々が集まり、つながりあえる場の一つ。この場所をもっと活用して、いろんな立場の人がつながって一緒にやっていくほうが、解決の速度もぐっと早まるでしょうし、きっとみんながハッピーになれ世界に変換できると思います。   【プロフィール】
兵庫県西宮市生まれ。1988年、女性を中心にしたマーケティング会社クレアンを設立。1995年、日本初のインターネットウィークリーマガジン「ベンチャーマガジン」を立ち上げ、編集長となる。並行して環境・CSRビジネスをスタート。現在、延べ約600社のCSRコンサルティングやCSR報告書の企画制作を支援している。特定非営利活動法人サステナビリティ日本フォーラム事務局長、
特定非営利活動法人社会的責任投資フォーラム理事、環境省チャレンジ25キャンペーン関連事業推進委員会委員、内閣府「暮らしの質」向上検討会委員、日経ソーシャルイニシアティブ大賞審査員などを歴任。東北大学大学院および大阪府立大学大学院の非常勤講師。