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【Event Report】自動運転レベル4 どうしたら社会に受け入れられるか

2023年4月の道路交通法改正により「運行設計領域内で完全にシステムが運行する=ドライバーがいない・ハンドルがない」”特定自動運行”が可能となりました。これは、まちづくりにどう関わってくるのでしょうか。  

法学の立場から自動運転に関わり、この度『自動運転レベル4 どうしたら社会に受け入れられるか』を出版した樋笠尭士さん(多摩大学経営情報学部専任講師)と、実務として全国で自動運転を推進している佐治友基さん(BOLDLY株式会社 代表取締役社長兼CEO)のクロストークを通し、両者の接点を探りました。(実施日:2023年4月21日、約45名参加(オンライン+オフライン))

■出版記念トーク|樋笠尭士さん

最初に、樋笠さんより、自動運転レベル4の許可制度や実装に向けた流れを説明、日本での課題を挙げていただきました。詳細は書籍をご覧いただければと思いますが、まちづくりにとって特に大事なことは、交通管理者(都道府県公安委員会)が事業者(特定自動運行実施者)の計画を許可するに当たっては、市町村長の意見を聞いた上で判断を行うということです。つまり、「地域の意見が反映されることが、自動運転の前提」となっていることです。もちろん地域の意見をどう反映するかという課題はありますが、ここに自動運転とまちづくりの接点があります。  

もちろん、個別の地域を越えた倫理的な課題もあります。自動運転レベル4では、事故が起きた際の責任所在の考え方も今までとは大きく変わり、ドライバーから特定自動運行実施者になります。そのため、いわばオペレーターである特定自動運行主任者などへの教育が必要となりますが、その際に「何をどの程度教育するのか」までは法に定められていません。そのため業界でのガイドラインが必要になります。  

有名なのは「トロッコ問題」と言われるジレンマ、例えば、急ブレーキが間に合わない自動車が歩道に乗り上げて人をひいてしまったらどう考えるか、更に、左に避ければ一人だが右に避ければ二人をひいてしまう時にどう考えるか…といった問題があります。  

諸外国では、既に倫理ガイドラインが定められており、その中には当たり前と思われることでもしっかり明記する(ex.人命の保護を最優先)ものもありますし、お国柄が出る?ものもあります(ex.ドイツ:ジレンマ問題はプログラミングの範疇外とする)。  

トロッコ問題のようなジレンマ、交通弱者への対応、車外の人と社内の人の優先度…などは完璧な答えが出るものではありません。そこで諸外国が行っていることは、突き詰めれば「多様な価値観に鑑みて、透明性や公平性、市民との対話」を行ってガイドラインをつくっているということです。  

また、専門家に比べて一般市民は、自動運転に対して安全性に対する要求が高くなる傾向があるということです。このような感覚の「ズレ」があるからこそ、対話の必要性は高くなります。専門家が押し付けるのではなく、かといって自動運転に対するある意味過剰な要求だけが独り歩きするのでもなく、地域に応じたバランスを模索していく必要があります。  

樋笠さんからは最後に、開発者ではない文系の立場の必要性、地域と中立の場としての大学の実践などを紹介して第一弾のトークを終えました。

■ゲストトーク|佐治 友基さん

続いて、佐治さんより、実際に自動運転に取り組んでいる立場として、その想いと進捗状況をお話いただきました。実は本日、サンフランシスコから成田を経由して会場へ直行の佐治さん。冒頭から撮影したばかりのサンフランシスコの自動運転タクシー「Cruise」の動画を紹介いただきました。車の前を人が横切っても、実に自然に減速しています。  

BORDLYは4月19日時点でレベル4の認可に向けて国土交通省との協議の真っ最中ですが、これまでに130ヶ所余りの様々な地域で実証を進めてきましたし、幾つかの地域では定期運行も実施しています。自動運転の中でもバスに着目して事業を行っています。ラストワンマイルの移動手段には、乗合バス・貸切バス・タクシーが挙げられますが、保有台数では17%(約35万台のうち6万台)の乗合バスが、輸送人員では69%(61億人中の42億人)を占めています。一方、地域バス会社165社のうち141社は赤字(注:コロナ禍前の値)で、ドライバーの平均年齢も高く、2030年には1万台分のドライバーが不足するおそれもあるとのことです。

自動運転レベル4になると、一人の遠隔監視者が複数台を同時監視することも可能になり、ドライバー不足の解決に資することが期待されます。中央センター・AIの活用などにより地域を横断しての共同運行体制も構築が可能です。  

ただし、直に全ての人手が不要になるということでもないようです。運行前後の整備・点検、措置義務対応や運行中の乗客とのコミュニケーションなど、人の仕事がなくなる訳ではありません。なお、オペレーターの仕事は若い人にも人気があるとのこと。自動運転により単純に人員やコストが削減されるのではなく、仕事の質やバランスが変化するということなのでしょう。  

また、地域住民の側からしても自動運転は「完璧」なものではありません。センサーに頼っていれば全てが安全という訳でもないですし、技術的には可能な装置でも無制限に装備していたら非実用的な価格になります。自動運転の普及には地域の理解と協力が欠かせません。  

実際に、定期運行を行ってきた茨城県堺町では、住民が自らの敷地を提供することで最も便利な位置にバス停ができる、一時停車を行うことがあることを周知することで無謀な追い越し運転が減る…など、自動運転と地域が協力しあっている様子が伺えました。運転は「自動」ですが運営には多くの「人」が関わっています。「人と機械は違う、どちらが優れているという話ではない」との言葉で第二弾のトークが終わりました。

茨城県堺町の実証実験での声(同書より抜粋)

・住民の路上駐車が減少した

・住民が駐車場を提供してくれた

・お茶や饅頭を自動運転の業者に渡してくれる

・ドライブレコーダーが防犯に役立つと理解されている

・時速20kmの遅い自動運転が走ることで、登下校時に高速で走っていた車が減少した ・各種イベントへの参加機会が増える

■ディスカッション

最後は自動運転に関わる法律の専門家、実践者としての事業者であるお二人で、会場も交えてトークを繰り広げました。自動運転でまちはどう変わるのでしょうか、まちが変わるために自動運転をどう捉えればよいのでしょうか。幾つかのキーワードを抜粋してみます。

▼移動の権利

まずは、基本の考え方として「人の移動の権利」をどう確保するかという視点が大事でしょう。高齢者や車椅子の人だけが交通弱者ではありません。不便・不快な通勤通学を強いられている人もある種の移動弱者とも言えるでしょう。また、交通弱者当人だけでなく周りの人との影響もあります。堺町では、息子の運転で病院に送り迎えしてもらっていた母親が居て、送り迎えをする息子も半日を拘束されていたところ、自分で通院できるようになったことで母親が明るくなったという話も出ました。

▼安全性のバランス

また、自動運転の安全性に対する私たちの認識をリセットする必要がありそうです。自動運転は完全ではありません、ただし、人間の運転でも事故は多発しています。その上で、どう折り合いをつけていくか。高齢化が進む堺町では、人間の運転が既に怖い状況という認識がベースにあったとのことでした。

▼各々の認識と役割

色々と課題はありつつも、ドライバー不足といった社会状況の中、自動運転に対する需要はあるのだが、実際には供給が課題、その原因は技術ではなく社会の受容性によるようです。BORDLYでも外国産の車体を使わざるを得ない状況とのことです。日本のメーカーは技術的には十分成熟していますが、事故が起こった際に全ての責任をメーカーが負う社会では企業も及び腰にならざるを得ません。企業の失敗に対して寛容になれる文化の醸成、ガイドラインなどの法的運用条件の整備、実証実験の厳しすぎる条件の緩和など、社会や地域の各プレイヤーが全体的に変わっていく必要がありそうです。

▼ルールづくり

倫理のような大枠のルールと地域の利用といったローカルなルールではそのあり方も異なります。先にあったように、自動運転レベル4では地域(市町村長)の意見を反映することとしています。とはいえ、ドライバーレスになっても人が乗車する以上、現場ではいつも予想の斜め上をいく行動が起こることも度々…。例えば、ペットの同乗一つをとってみても簡単に一律はルールできません。BORDLYでも色々な失敗談や困った経験はあったとのことですが、なるべく(限界としての)ルールをつくらず、個別のケースに柔軟に対応してきたとのことです。

▼公共交通を支える社会・経済制度

樋笠さんのお話にあったガイドラインのような法的運用の整備に加え、財源のあり方も見直しが必要です。実は、現在自動運転を導入できているのは財政的な余裕がある自治体のみ、人口減少が進み自動運転の必要性が高い自治体ほど、導入の予算がないというジレンマもあるとのことです。人口減少の時代の「公共交通」を考える際に従来の運賃制度でよいのか、交通財政の大改革も視野に入れる必要がありそうです。

▼地域での受容へ

お二人とも、地域課題の解決策は自動運転だけではないことを強調されていました。その上で、地域が自動運転というアプローチをとった際にどう対応するか。自動運転は完全ではないし、想定外の事態は日々発生します。地域が自動運転を受容するということは、完璧なルールや技術を目指すことではなく、自動運転をやさしくケアしながら、そのメリットも多面的に需要していくということなのでしょう。

地域で一緒に暮らす生き物のような寛容性をもって自動運転を捉えられると、利用者のマインドセットも変わっていくのかもしれません。自動運転バスと一緒に記念写真を撮り続けている堺町の子どもたちの姿を見ながら、ふとそんな気持ちになりました。