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【Field Report】千葉県館山市 安房神社「見えないものに目を向ける~“土中環境”著者の高田宏臣さんから学ぶ、リジェネラティブデザインとは~」

2025年5月14日、NPO法人greenzが主催する「Regenerative Design College」のプログラムの一環として、千葉県館山市にある安房神社周辺で実施されたフィールドワークに参加しました。現在、スタッフの今井は、京橋エリアで掲げられた「Regenerative City Tokyo」構想(※)を契機に、“リジェネラティブ”という概念についての理解を深め、実践的な知見を得るべく、同カレッジの受講生として参加をしています。 今回のワークショップでは、講義でもご登壇いただいた一般社団法人有機土木協会代表理事の高田宏臣さんに現地でお話を伺いました。高田さんは、「見えないものに目を向ける」というデザインコードをキーワードに、リジェネラティブな視点について講義を行ってくださっており、「山から考えるリジェネラティブとは何か」を、五感を使って体験できる貴重な機会となりました。 ※「Regenerative City Tokyo」構想(※) https://tatemono.com/news/20241125.html

▼自然のつながりを守りながら人の手を介在する山の保全活動とは

ワークショップ当日はあいにくの雨。高田さんは講義をはじめて一言目、「晴耕雨読という言葉を知っていますか?」と参加者に問いかけました。 晴耕雨読とは、晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読む。という意味の言葉ですが、高田さんは山に置き換えると、雨の日こそ自然をよく観察することが大切という意味で捉えているそうです。山に入るときも、準備が大切、周囲をよく観察し、「土地を読む」ことから始めるのが重要なのだとか。特に土をよく見ることは、生き物の循環や森と海とのつながりを理解していく上で欠かすことは出来ないのだと言います。   今回は千葉・南房総の大神宮村に位置する安房神社と裏山にある55haにも及ぶ広大な森に伺ってきました。高田さんは銀行の融資や賛同者の協力を得てこの土地を取得しました。太平洋に面するこの岬の森は、海にとっても非常に重要な存在となっているそうで、かつては白浜や根本の海岸は、アワビや伊勢海老の宝庫で漁業に栄えた場所でした。そのため、海女(あま)として活躍していた女性も多く、能登半島まで潜水技術を教えに行っていたこともあり、海と人のつながりが深い歴史ある場所となっています。   しかし、明治以降の大規模な保安林制度によって土地所有者の権利が制限され、森の整備が進まないという課題が今でもあるそうです。山の土に染み込んだフミン酸や微生物を含んだ水は、岩を通って海へと流れ出し、海底で酸素を豊富にし、豊かな漁場を支えています。ところが近年、そのつながりが急速に断たれつつあります。2007年の国道トンネル工事開始以降、2010年には「磯焼け」と呼ばれる現象が発生し、ヒジキやアマモがどんどん姿を消す事態にまで影響が広がっているそう。漁場の面積は10年で1/4にまで減少しており、山と海の関係性が非常に深く、つながりを意識した活動が重要であることが、このエピソードからもわかります。   コンクリートで作られた遊歩道の設置やスロープの施工は安全面では一役買っている一方で、土地に負荷がかかり大木が倒れ、土砂崩れなどの要因になる可能性を持ち合わせているとのこと。特に、日本列島の岬や館山市のように張り出した地形は、風や水の動きを受け止める重要な場所であり、工事前の丁寧な説明や土壌や森林のメカニズムを知り、自然全体の関係性への理解が必要とされています。少しずつでもそういった有機物を活用した土壌の改善と山や森林の整備の方法を学ぶ機会を増やしていくことが今後さらに求められるようになり、私たちも自然への介入の仕方をきちんと学んでいく姿勢が必要となってきています。
高田さんの所有する森の最奥には、昭和初期につくられたため池があります。そこは今現在、野鳥の楽園として水鳥たちの命を育む大切な場所となっているそうです。このように、人が使わなくなった場所が、次の命を支える場になっている例も多く、生き物と共存していくためには、触れてはいけない場所と正しく手を入れていく場所を見極める必要があるといいます。かつて山越えに使われていた道も現在は復元され、月に一度の山歩きの活動なども実施していく予定とのこと。次世代へ「自然と共生する意識」を手渡していく試みが行われています。   講義の中で「分からない自分に気づく」ことが大事だと語られた高田さんの言葉がとても印象的でした。生命誌研究者である中村桂子さんの「分からないことが分かるようになることが、人間の喜びだ」という言葉に高田さんは胸を打たれ、体に染み込んだ知恵をどう次世代に伝えていくかを真剣に考え現在の保全活動に取り組んでいます。
守るべきは、経済的利益だけではなく、土地の生産力や、生き物の命を支える土壌そのもの。
土壌を知る手段として、高田さんがよく活用するのは古い時代の道中図だそうです。地図の中には昔の人がどのように山を歩いていたかの手がかりが残っているといいます。実際に地図を片手に山の中に入ると、その痕跡に気づき、当時の人々の暮らしぶりが見えてくるそうです。それらの道には、自然と共生するためのヒントが沢山残されており、そのヒントを頼りに自然と対話しながら、負荷をかけない方法を模索していくことが土壌を支えるきっかけとなっていくそうです。

▼山と水が育む生態系の循環

フィールドワークの前半、山の麓にある安房神社をご案内いただきました。弁天池と言われる大きな池が神社の中にあります。御手洗池と呼ばれるその場所は、どんな大雨の後も水位が変わらないそうです。これは、増えた水量の分だけ山がきちんと保水力を持って、土に水を染み込ませる力をもっている証拠なのだとか。土壌の保水力が健康に保たれていれば、池の水は溢れることがないとされています。 また、水が湧き出す場所には、豊かな酸素と微生物が存在し、泥やヘドロを分解してくれるため、水が澄み切っているそうです。逆に排水ばかりを流すようになると、山は水を貯める力を失ってしまい、生き物たちの棲家も消え、ヘドロが発生して水がどんどん濁ってしまいます。そこで行われてきたのが、「竹ぐい」と呼ばれる手法で、1メートルおきに竹の杭を打ち、ヘドロの下から湧く水を掘り起こす作業です。竹ぐいを行うことできちんと水が湧き、稚魚を狙って飛来した野鳥たちが、刺さった竹の上で羽を休める光景が見られるのだとか。きちんと人が手を入れていくことで、もともと存在していた生態系のつながりが復活していく。こうした自然物の背景には、山の土の健康状態と人の手をどう介在させていくのかが根深く関係して、山という生態系の持続可能な仕組みを保っていることを知ることができました。
池の際は水が沸いている箇所があり澄んでいる

▼水脈と山の痕跡から歴史とのつながりを感じる

安房神社には、海底の堆積岩が隆起して生まれた岩が沢山見られます。安房神社の“あわ”という名称は、四国・阿波から渡ってきた一族が、麻や柏を育て、天皇に奉納していたという伝承も背景にあるそうです。
あわ神社の「岩倉(いわくら)」と呼ばれる祭祀場には、水が湧き出す岩があり、今でも水飲み場や水路の跡が残されています。これらの痕跡は、当時の暮らしで使われていた水路を辿ることもでき、かつて山に根付いていた自然循環を知るのに重要なヒントになるそう。自然再生の取り組みには、こうした痕跡を辿る作業が大切なのだそうです。
苔むした岩場には、苔の根が岩にきちんと水を供給し、周囲の空気の湿度を保っています。そのため生物も生きていきやすい環境が保たれます。苔と岩の状態をみると、山全体が呼吸をしているか、山が健康かどうかをきちんと見分けることができるのです。
例えば景観のため、建物を建てる際に根を切って大きな木を移動させる、岩場を崩してしまう等すると、この循環が全て壊れてしまいます。そうした全ての自然物が山においてつながっている意識を持つことが非常に重要なのだそうです。

▼自然と対話する手入れの姿勢とあり方

神社を後にして午後からは山に入って、植物観察や水脈の跡をたどったり、土に触れるワークショップを行いました(本来は、山の上から海を見て、水脈の流れを辿る予定でしたが雨で一部エリアの見学となりました)。山の整備においては、「自然の力を途切れさせずに活かすこと」が大前提となるそうです。例えばコンクリートの階段やスロープで整備を行うと、その下の土は吸収をすることができず、山の保水力が低下する原因にもなっているそう。丸太で作った階段であれば、まわりの植物の根が絡まって自然に固まり、道を形づくっていきます。雨水が流れても、水が石の間を通り抜け、地中にしみ込むように設計されていきます。山の歩道整備においては、お金をかけず、自然に無理をかけず行うことも重要だと高田さんはいいます。 また、山を歩く際には、つま先だけを覆う草鞋を履きながら作業を行うそうです。その方が靴よりも滑りにくく、土も踏み固めすぎず、疲れにくいとのこと。現在、高田さんの元で学んでいるメンバーの1人が草鞋づくりに挑戦し、藁を編む技術の習得にも力を入れているのだとか。昔からの伝統技術を、大切に受け継いでいくことも組織全員で育んでいるそう。
山の植物を整備する際には、草の根を抜かずに上だけ刈ることで、良い土が育つのだとか。刈った草もそのまま、土の上に放置しておくと土の養分となるそう。山の土を固めるときも、土嚢は麻や藁など、生分解できる素材を使うことを意識していました。やがて地球に還っていくもので手を入れ、植物もむやみに伐らず、山全体のパワーバランスを崩さないように、植物と対話をして手入れをしていくことが再生を意識した保全活動には重要なようです。
ひとつ事例として、高田さんが山に流れる川に橋をかけようとした際、作った橋が大雨の増水で流されてしまったそう。知人の大工さんに教えてもらったのは、橋脚の周りに竹の籠をつけてその中に石を入れる技術。そうすることで、水が渦を巻かずに石の間を綺麗にすり抜けていってくれるのだとか。時間が経過すると周りについていた籠は腐ってなくなり、大雨がくるとさらに橋脚は深く深くに潜り込んでいく。大雨になることを前提に完成される橋の作り方に感銘を受けたそうです。自然のリズムを熟知しすること、災害なども見越した整備を行っていくこともこの先の山の整備には求められてきそうです。
水辺や山での作業で使用する藁で作った草履
山の中にできた川で水脈についての話を伺いました

▼縄文の技術と暮らしが教えてくれること

山の奥へと足を進めていくと、茅葺屋根の縄文小屋が建っています。こちらは、高田さんと宮大工の雨宮国広さんが協働で建設を行ったそうです。(建設の過程はyoutubeでも公開されているのでぜひ見てみてください)縄文時代の住まいにはアイヌ民族の住居の工夫が見られるそう。アイヌ民族の住まい「チセ」では風を遮ることなく循環させることで、夏は涼しく、冬には炉で火を焚き続けることで暖かく過ごすことができるそう。
今回この縄文小屋を共に建設した、宮大工の雨宮国広さんも「縄文大工は現在の建築に劣らないほど優れていた」と話されていたそう。柱と柱の接合部分には石斧と鹿の角を使って接合部に楕円の穴を開け、柔構造にすることで地震の揺れに耐える構造を利用していたのだとか。(能登半島に建設されているもう一つの縄文小屋も震度7の揺れでも倒れることはなかったそう)高田さん曰く、楕円にすることで柱に隙間が生まれる、その隙間は地震が起きた際にも力を分散させるための余白としてうまく機能するので、なかなか壊れることはないのだそうです。非常に合理的な設計に驚くことも多いと語られていました。
また、縄文小屋に使用されているのは栗の木。栗の木は腐りにくく、5000年前の構造物も現存しており、現代の杉よりも耐久性が高いとのこと。
建築に使用する素材や建築の方法において、縄文時代の歴史を辿ることで現在の暮らしにも活かせる技術が沢山あることを、高田先生は縄文小屋を通じて伝えています。

▼まとめ

このように、山・水・森・暮らしがつながって育まれてきた知恵には、今の時代で失われつつある「循環」の意識が強く根付いていることを感じました。現在本講義でもキーワードになっている”再生”という文脈においても、こうした自然に残る昔の暮らしの痕跡を辿り、丁寧に読み解く工程にこそ、ヒントが沢山あるのかもしれません。 今回のフィールドワークを通じ、自然の中に存在している「目に見えない営み」が今の私たちの暮らしを支えてくれていることを学ぶことができました。山の水脈や微生物の活動、山と海をつなぐ循環、そして昔と今の人間の暮らしが重なり合う地形の意味。高田先生の案内のもと見た風景は、単なる自然の美しさをだけではなく、自然と共にあるための視点を養う時間となりました。循環や生態系を思いがけず壊してきた私たちが、再び自然と歩み寄るためにも、まずは私自身が「わからない自分」に気づいて自然のことを正しく理解し、手の入れ方を学ぶことから始まるのかもしれません。 見えないものに目を向け、自然の時間軸と共にある暮らし方を取り戻すこと。それは、自然やまちの再生とともに、私たち自身の心や意識の再生の営みでもあるように感じました     文、写真:コミュニケーター 今井