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【Interview5】まちづくり×サステナビリティ×α|ゼロ・ウェイストの象徴、複合施設「WHY」が上勝に誕生 。官民連携でサーキュラー・エコノミー活動を活性化

 

2020年5月20日、徳島県の山間部に複合施設「上勝町ゼロ・ウェイストセンター<WHY>」がオープンした。上から見ると「?」の形をした建物は、町民がゴミを分別する「ゴミステーション」と、リユースのための「くるくるショップ」、交流施設などから成る。「?」の点に当たる部分はホテルだ。上勝町は2003年に日本初の「ゼロ・ウェイスト(ごみ排出ゼロ)宣言」を行い、ゴミの焼却・埋め立て量の削減や、リサイクル率の向上に取り組んできた。<WHY>は上勝町の地域ブランドとしての「ゼロ・ウェイスト」推進と発信を担う、新たな拠点となる。プロジェクトを進める上勝町役場企画環境課の菅翠氏と、運営会社BIG EYE COMPANY代表の小林篤司氏、同社CEOの大塚桃奈氏にビデオ会議で話を聞いた。

取材・文/萩原詩子 構成/介川亜紀

2018年度にリサイクル率80.7%を達成した山村、上勝

徳島県勝浦郡上勝町は、徳島市中心部から車で1時間ほどの距離にある、人口約1500人の小さな町だ。この町では、ゴミ収集車は走らない。住民は、生ゴミは自宅のコンポストで堆肥にし、びんや缶、プラスチック類や紙、布などは、自らゴミステーションに持ち込んで分別する。分別は実に13種類45品目に及ぶ。町を挙げての努力の甲斐あって、2018年度にはリサイクル率80.7%を達成した。ちなみに、全国平均は19.9%だ(環境省:平成30年度一般廃棄物処理実態調査)。

上勝町のゴミ対策の歴史は長い。ゴミ焼却場を持たない上勝町では、1997年まで野焼きを行っていた。1998年に小型焼却炉を2基設置するが、ダイオキシンの排出基準を満たせなくなり、3年後に廃止を余儀なくされる。「このとき、新たに焼却炉を設けるのではなく、ゴミそのものを減らす方針に転換したのです」と、町役場の菅さんは説明する。ゴミ処理費の増大を回避するための、苦肉の策でもあった。2001年には35分別を開始、2003年の「ゼロ・ウェイスト宣言」に至る。

「ゼロ・ウェイスト宣言」の前文にはこうある。「上勝町は、焼却処理を中心とした政策では次代に対応した循環型社会の形成は不可能であると考え、先人が築き上げてきた郷土『上勝町』を21世紀に生きる子孫に引き継ぎ、環境的、財政的なつけを残さない未来への選択をまさに今、決断すべきであると確信いたします。」

2005年にはNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーが発足、町から業務委託を受けてゴミステーションを運営するなど、官民連携によるゼロ・ウェイスト推進が始まった。今年2020年は、ゼロ・ウェイスト宣言の目標年にあたる。

ゼロ・ウェイストのブランド化を目指し、10年がかりで計画を進める

「上勝町ゼロ・ウェイストセンター<WHY>」は、1997年から試行錯誤しながら運用を確立してきたゴミステーションを建て替え、発展させた施設だ。初期からプロジェクトに携わってきた小林篤司氏は「完成まで、おおよそ10年がかりの道のりだった」と振り返る。

小林氏は、2012年に上勝町の地域創生を目的とした一般社団法人地職住推進機構を立ち上げた。「上勝町にとって、最大の地域課題は過疎です。昭和の半ばには最多で6000人だった人口が、今では1500人。人口の4分の3が消えてしまいました。過疎地域の活性化は難しい。はじめは水や空気がきれいだとか、緑が豊かだとか言っていましたが、そんなのは日本全国どこの過疎地も同じです。それよりも、上勝町の人々が努力して積み上げてきたゼロ・ウェイストをこそ、地域ブランドとして打ち出すべきだという方針になりました」。

新たにゼロ・ウェイストの教育施設をつくるなど、様々なプランが検討された中で「ゼロ・ウェイストの拠点である、ゴミステーションそのもののリニューアルがベストだと決まったのが5〜6年前のこと」と小林氏。以前のゴミステーションは企業の廃屋を改修して使っていたもので、使い勝手が悪く老朽化も進んでいた。

「では、これからのゴミステーションはどうあるべきか。必要な機能は何で、面積はどのぐらいか。人口や予算も含めて、50年先、100年先の町の未来像を描きました。上勝町は自主予算も非常に限られているため、必要な事前調査や実証実験を行うために、何年間も国や県に掛け合った結果、内閣府や総務省、経済産業省、農林水産省、徳島県の助成事業を数多く活用しました。地域コーディネーターである我々と上勝町が連携し、数年に及ぶこの積み重ねが<WHY>に結実したといえます」。(小林氏)

検討過程から東京の企業を巻き込み、ファシリテーター役としてトランジット・ジェネラスオフィス(東京都渋谷区)、事業スキームの検討にトーンアンドマター(東京都港区)が参加し、建築設計は中村拓志&NAP建築設計事務所(東京都港区)が手掛けた。地職住推進機構は地域コーディネーターとして、役場や住民と関係者との調整役を担った。<WHY>の整備にかけた町の総事業費は約5億円。そのほとんどは「国の過疎対策事業債を活用しました」と町役場の菅氏は言う。

コロナ禍はゴミを見直す機会。上勝の取り組みを町外にも発信

<WHY>には、ゴミステーションのほかに5つの機能がある。町民がまだ使える不要品を持ち込み、欲しい人が無料で持ち帰れる「くるくるショップ」。町民の憩いの場であり、レンタルスペースとして講演会やワークショップにも利用できる「ラーニングセンター&交流ホール」。企業や研究機関との協働を目指す「コーポレーティブラボラトリー」。町民の要望で設置した「コインランドリー」。そして、宿泊体験施設「HOTEL WHY」だ。<WHY>のために設立された会社BIG EYE COMPANYは、指定管理者としてゴミステーション以外の運営を担うが、町から指定管理料は受け取らず、施設から得る収益で、独立採算で事業を営む。新卒で神奈川県から移住し、Chief Environmental Officerに就任した大塚桃奈氏は「まだリサイクルしきれていない、残り20%のごみをどうするか、企業や研究機関と一緒に取り組みたい」と意気込みを語る。

「例えば、上勝町で焼却・埋め立てされる20%のごみの中には、使い捨てのおむつや生理用ナプキン、ペットシートなどがあり、それらは製品そのものがリサイクルできない構造です。自治体によってはバイオマスエネルギーに変換しているところもあります。今後WHYでは、上勝町とともにリサイクル率100%に取り組んでいただけるアイディアや意欲をお持ちの企業のサテライトオフィスを誘致し、ごみのない社会を目指していきたいと考えています」。

宿泊施設「HOTEL WHY」は、滞在を通して上勝町の45分別を実体験してもらう施設だ。ホテルは”ゼロ・ウェイストアクション”をコンセプトにしているため、客室内には歯ブラシなどの使い捨てアメニティや寝間着は用意していない。また、お客様が滞在を通して出したゴミは、チェックアウト後にスタッフとともにゴミステーションで分別体験を行う。「上勝町に関心を持ってもらうためのキーワードは3つ。ひとつはゼロ・ウェイスト、そして建築・デザイン、もうひとつはまちづくりです」と大塚氏。

中村拓志&NAPによる<WHY>は地元の杉材を用い、廃棄された建具や農具、家具などを仕上げや什器に再利用している。「建物そのものがゴミで出来ているともいえます。町の方たちに協力してもらって集めた不要品が、デザインによって命を吹き込まれた。うちの古い扉がこんなにかっこよくなるんだね、と感動の声もいただきました」。

開業が遅れるアクシデントはあったが、リモートワークの普及で、地方移住が再び注目を集めてもいる。上勝町では今回のコロナ禍による変化をどう見ているのだろうか。町役場の菅氏は「自粛期間中は目に見えてゴミが増えました」と言う。「家の片付けに取り組む人が多かったせいでしょうか。一方で、町内の飲食店は経営が苦しい中でも使い捨て容器を使わず、量り売りや再利用できる弁当箱でテイクアウトしてもらうなど、引き続きゴミを出さない工夫をしてくださっています。コロナ禍は、ゴミについて改めて考えるきっかけになったはず。<WHY>を起点に、上勝町の取り組みを、町外にも発信していきたいと考えています」。

「ゼロ・ウェイスト宣言」の目標年を迎え、上勝町は今、町民で構成する「ゼロ・ウェイスト推進員」とともに、今後のゼロ・ウェイストの方向性について協議を重ねているところだ。移住に関する問い合わせも、2017年度の2件が2019年度には8件と徐々に増加するなど、ゼロ・ウェイストを通した取り組みが、過疎という地域課題に一石を投じている。更に、コロナ禍によるリモートワークの普及で地方移住も再び注目を集めており、持続可能な地域づくりに向けた挑戦が進んでいる。

取材日:2020年7月10日

<関連情報>
WHY[上勝ゼロ・ウェイストセンター
上勝町
ゼロ・ウェイストタウン上勝

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