ソーシャルビジネスで栄養失調問題改善を目指す”ガーナ栄養改善プロジェクト”
事業収益を上げることで、寄付金などの外部資金に頼らず貧困や環境問題といった社会的課題の解決を目指す「ソーシャルビジネス」。日本でも規模や業種を問わず、多くの企業が取り組んでいる。とはいえ、ソーシャルビジネスの意義を理解している人は、まだ少ないかもしれない。そこで紹介したいのが、公益財団法人味の素ファンデーション(中央区京橋)が進める「ガーナ栄養改善プロジェクト(GNIP)」の中心人物、高橋裕典さんだ。彼のユニークな人柄と経歴を知れば、ソーシャルビジネスが持つ本質的な魅力と可能性が見えてくるはずだ。
執筆/石井敏郎、撮影/森カズシゲ
飼料のための研究が、社会的課題の解決につながることを知り一念発起
「宇宙飛行士になること」が将来の夢だったという高橋さん。しかし、自分の得意分野を考えた結果、研究者として宇宙の仕事に関わることが近道と考え、バイオテクノロジーを専攻することに。学んだ知識を活かせる職場として選んだのが、味の素株式会社だった。「入社後しばらくの間は、味の素の主力製品となるアミノ酸を効率よく生産するための研究に従事していました。『ガーナ栄養改善プロジェクト』への参加につながるヒントを得たのも、その頃でした」。
「味の素」というグループ名の由来になっている、うま味調味料の主成分「グルタミン酸」を含め、たんぱく質を構成するアミノ酸は20種類に及ぶ。このうち、高橋さんと「ガーナ栄養改善プロジェクト」をつなげたのは「リジン」だった。「家畜の飼料となるコーンにリジンを混ぜることで、飼料の養分を無駄なく家畜の成長に使えるようになるんです。逆に言うと、コーンだけでは成長に必要な栄養が足りないわけですね。私が従事していた研究のひとつが、このリジンを効率よく培養すること。最初はビーカーレベルで実験し、その成果を工場レベルで再現する『スケールアップ』が主なミッションでした」。
研究者として一定の成果を挙げた高橋さん。しかし、ここで運命的な出逢いを果たす。「当時の自分は視野が狭く、家畜以外にリジンの効能を活かすという発想がなかったんです。視野を大きく広げてくれたのは、出張先のフランスで教えを受けた技術部長(当時)でした。その方に言われたんです。『(高橋さんの研究成果を)人間に応用すれば、もっと多くの命を救うことができる』と」。
詳しく聞けば、世界には「コーンがゆ(粥)」が乳幼児の主食となっている国があり、それが栄養失調の原因のひとつになっているという。補足すると、このとき以降高橋さんの“師匠”と呼べる存在になる技術部長は、2009年にスタートした「ガーナ栄養改善プロジェクト」の創設者かつ、核となる栄養補助食品「ココプラス」の開発者でもある。
「ガーナ栄養改善プロジェクト」で用いられている栄養補助食品「ココプラス(KOKO Plus)」。大豆が主成分で、リジンに加え、ビタミン、ミネラルなど子どもの生育に必要な栄養を豊富に含んでいる。
「その話を伺った頃、世界的なリジンの価格競争が激化していたんです。自分の研究成果が飼料以外の用途に活用され、しかも社会的課題の解決に役立つなら製品のバリューアップにつながると考え、ぜひお手伝いをさせてほしいと志願をしました」。
ソーシャルビジネスで役立つ人材を目指し続いた「スケールアップ」の日々
しかし、高橋さんの願いは聞き入れてもらえなかった。「要約すると『研究しか知らない奴は役に立たない。ビジネスのスキルを磨いてから出直せ』と言われてしまったんです。そこで一念発起して、当時の赴任先だった佐賀県で得たコミュニティを通じ、佐賀大でマーケティングの勉強をしたのですが、それでも『勉強だけでは、実績がないからダメ』と言われてしまって(笑)」。
それならばと、勉強仲間と企画したのが、佐賀のご当地グルメ「シシリアンライス」を盛り上げるプロジェクト。佐賀市長を“国王”とする「佐賀シシリアン王国」を“建国”し、自らも“王子”となってまちおこしに貢献した。
生キャラ(シシリアンプリンス)の高橋さん
「シシリアンライスは、調味料にマヨネーズを使うことから、単なる町おこしだけでなく、マヨネーズの販促にもつながると考えた企画です。ちなみに自分が“王子”となったのは、ゆるキャラを造る費用がなかったことから出た、苦肉の策でした(笑)。生身なので生キャラです」。
町おこしというテーマではあるものの、事業収益を視野にいれながら社会的課題の解決を目指すという点では、高橋さんが手掛けるソーシャルビジネスの第一歩が、ここにあった。しかし、それでもまだ“師匠”からの「お許し」は出なかったという。「今度は『営業のスキルを磨け』と。そこで営業職への異動を志願し、アミノ酸をつくる過程で生まれる副産物を売り込む仕事に就くこととなりました。いわば日本酒造りにおける酒粕のようなものですね。肥料の原料になるんですが、それまでは乾燥させた『乾燥菌体肥料』として販売していたんです。コスト的にも赤字になるし、乾燥に大量の石油を使うため環境面でも問題があると思っていました」。
実は、アミノ酸をつくる過程で生まれる副産物は、乾燥させなくても肥料として用いることができる。しかし液状では使い勝手が悪いことから、農家からは敬遠されていたのだという。「いくら美味しい野菜ができたとしても、使い勝手が悪いならいらないっていう農家さんが大半でしたが、一軒だけ喜んでくれたところがあって。聞いてみると、堆肥と混ぜることで発酵熱が生まれ、自然乾燥ができたというんです。つまり、石油に頼らず乾燥できるだけでなく、それまでは処理に困っていた余剰堆肥の有効活用にもつながると。目からうろこが落ちました」。
大学時代はアメフトのプレーヤーだったという高橋さん。勤務先だった佐賀では、大学のヘッドコーチや監督も務めていたという。現在は黄色が鮮やかなココプラスシャツがトレードマークだ。
赤字となっていた副産物と、処理に困っていた余剰堆肥の問題を解決し、より良い有機肥料をつくる。となれば次の課題は、その有機肥料を使って生産された野菜の販売先だ。「そこで注目したのが、イオン九州グループさんが展開する野菜・果物のプライベートブランドでした。我々の副産物入りの堆肥肥料を使えば、“安心安全”に加え、“美味しい野菜の生まれる土づくり”という価値をブランドに付加することができ、それらを実現している“九州の農家の方々を野菜の販売を通して元気に”できるのではと、イオン九州の契約栽培農家の担当の方々や野菜卸の方々、味の素㈱の九州支社の営業の方々と全員でコンセプトを考えたんです」。
結果生まれたのが、肥料原料の提供元(味の素九州工場)、たい肥生産業者(畜産家)、野菜生産者(農家)、流通(野菜卸)、小売店(イオン九州グループ)、商品提案者(味の素九州支社)、そしてお客様(消費者)の七者全員でウィンウィンの関係を築く「九州力作野菜Ⓡ・九州力作果物Ⓡ」プロジェクトだった。このブランド名は「関係者全員で九州の農業を元気にする活動を“力作”する」という思いが込められており、バリューチェーン全体を「力作」する関係者は60社以上に及ぶという。ちなみにプロジェクトが推進されたことにより、副産物を乾燥させる石油が必要なくなり、年間2000トン近くの炭酸ガス削減も実現し、のちに地球温暖化防止活動 環境大臣表彰や、ジャパンSDGsアワード内閣官房長官賞(副本部長賞)も受賞できたという。振り返ってみれば「佐賀シシリアン王国」から、ソーシャルビジネスの規模も格段にスケールアップされたわけだ。
「私を『ガーナ栄養改善プロジェクト』に導いてくれた方の目論見どおりに動いていたのかもしれませんね(笑)。その後も語学の習得など必要なスキルを磨き、ようやく参加を認められたのは、プロジェクトが始まって10年近く経ってからでした」。
これからも続く『ガーナ栄養改善プロジェクト』と高橋さんの未来
ここで、「ガーナ栄養改善プロジェクト」について簡単に説明しておこう。元々ガーナでは「ココ(koko)」と呼ばれるコーンがゆが、乳幼児の伝統食となっている。しかし、先に述べたように原料となるコーンだけでは、成長に必要な栄養(特にリジンという必須アミノ酸)を補うことができず、子どもたちの栄養失調に繋がる問題を抱えていた。そこで登場するのが、味の素グループが開発した栄養補助食品「ココプラス(KOKO Plus)」だ。大豆を主原料とし、リジンなどの栄養素を多く含む「ココプラス」を伝統食に混ぜることで、ガーナが抱える子供たちの栄養失調という問題の解決を目指す。これがプロジェクトの概要である。
連携先のガーナ政府(ガーナ保健サービス)の看護師さん(高橋さん以外の黄色のポロシャツの方々)との地道な普及活動により、お母さんの栄養バランスについての関心も高まり、KOKO Plusを継続して使用するようになっていったという。
念願かなって、プロジェクトのメンバーとなった高橋さん。言うまでもなく“修業”の成果をいかんなく発揮し、現地の食文化や市場を調査し「ココプラス」を普及させるための計画を立てるなど、プロジェクトの推進に貢献することになる。なかでも、特にこれまでのスキルが活かされたと感じているのは、プロジェクトの肝ともいえる「官民連携」だったという。「『佐賀シシリアン王国』や『九州力作野菜®、九州力作果物®』など、過去のプロジェクトで得た企業や自治体との連携するためのスキルを、規模は違えどガーナという国を相手に活かすことができたんです。佐賀市の『シシリアン王国』建国から10年後に、リアル国家(ガーナ共和国)と交流を持つなんて思いもよりませんでした(笑)。とはいえ、官民連携は軌道に乗ってきたものの、いまだ当初の予定に対して予想通りとは言えないのが実情です。持続可能なプロジェクトにするまでには、さらなる『スケールアップ』が課題となるでしょう」。
写真からも、チャーミングな人柄が伝わる高橋さん。使命感からではなく、自分がしたいことを楽しみながら実践しているという印象だった。